介護福祉の仕事紹介-現場からの発信
株式会社ナイスケアは1996(平成8)年9月に設立し、地域やスタッフに支えられながら東京都と神奈川県で“地域のコンビニ介護屋”として在宅介護サービスを提供しています。
神奈川県内では、川崎市中原区に「訪問介護ナイスケアたまがわ」(訪問介護)と「ナイスケアたまがわ介護センター」(居宅介護支援)の2つの事業所を運営しています。
自立した日常生活を送るために(サービス内容)
- 訪問介護 訪問介護員(ホームヘルパー)が利用者の自宅を訪問し、身体介護(清拭・入浴・排泄介助・体位交換・着脱介護・食事介助・通院介助等)や生活援助(掃除・洗濯・調理・買物・代筆援助等)などを行います。
- 居宅介護支援 ケアマネジャーが、利用者の心身の状況や置かれている環境に応じた介護サービスを利用するためのケアプランの作成、そのプランに基づいて適切なサービスが提供されるよう、事業者や関係機関との連絡・調整を行います。
男性ヘルパーのエピソード
言われたことだけをやる日々
私がこの仕事を始めた頃は、訪問介護事業所では男性ヘルパーは少なく、「どうせ家事なんか出来ないだろう」と言われ、移乗の多いサービスや車いすの介助を要する通院介助が主な仕事でした。私は言われたことに何も感じることもなく、先輩職員や管理者から言われたことをやるだけの日々を過ごしていました。
利用者Aさんとの出会い
利用者Aさんは、調理・配下膳、外出介助、買物、掃除、入浴介助、服薬介助など、介護保険外サービスも利用していました。ある日、私がいつも通りにやっていると、ベッドで休んでいたAさんから「仕事には慣れた?楽しくできている?」と聞かれました。私には衝撃的な問いかけでした。なぜなら仕事は仕事で、楽しいもつまらないもないと考えていたからです。
人生の大先輩でもあるAさんからの問いかけに、その時私はうまく答えることが出来ませんでした。
先輩に同行してみて
そこで、先輩スタッフにお願いし、Aさんのサービスに同行させてもらうことにしました。先輩スタッフはAさんの話をただ聞くのではなく、作業の手を止め、Aさんの近くに移動し、お話を聞いていたのです。そんなに長く話を聞いていたわけではないのですが、私にはとても長くゆったりした時間の流れを感じました。
私は言われたことを言われた通りに、時間内に行うことが当然だと考え、会話をしていなかったのだと気がつきました。その余裕のなさが、Aさんに伝わっていたのです。私の中で、私自身が大きく変わる必要があると感じました。
自分が変わる必要性
それからは、時間が許す限り心傾けてお話を聴かせていただくようにしました。すると、Aさんから「最近楽しそうだね。何かあったの?」と話かけてもらえました。Aさんのサービスに伺う回数が増え、Aさんからたくさんの事を教えてもらいました。今度は自分から変わらないといけない事にも気がつき始めたのでした。
だんだんと周りからも任せてもらえる仕事が増えていきました。仕事にも慣れ、もっとたくさんの仕事をしたいと思うようになり、会社が開催する講習会に参加させてもらったり、資格取得に向けた勉強をしたりと、自分自身が介護職のプロフェッショナルになろうと考えるようになっていきました。
サービス提供責任者として、いまの私
現在、ホームヘルパーからサービス提供責任者の立場になり、Aさんと直接お会いする時間は減りましたが、Aさんの担当サービス提供責任者として、以前とは違う形で関わっています。
入職したてのスタッフと話す機会があれば、利用者から見れば、1日目の新人ヘルパーも、10年選手のヘルパーも同じヘルパーとしてみられる覚悟を持つようにしてほしいこと、また、自分が介護してもらうなら、自分のような介護士にお願いしたいと言えるヘルパーを目指してほしいと伝えています。
Aさんからの言葉が支えに
「技術や知識がすごいことに越したことはないけど、人としてちゃんとしていなければ、介護をしてもらいたいと利用者から思ってもらえないでしょ?」という言葉をかけていただいたときのAさんを今でも思い出します。
「利用者が主役の1ページに、出来ないことをお手伝いするのがヘルパー」
私自身も言葉の通りのヘルパーに練れているかわかりませんが、考えながら介護の専門職としてプライドを持って、日々の訪問介護という仕事をしています。
この気持ちを持って働く仕事を多くの皆さんに知っていただけたら幸いです。
(http://www.nice-care.co.jp/files/care/kanagawa_authentication.pdf)